2012年03月03日
鶴岡中央高温海校
またひとつ歴史ある学校が廃校となりました。
昭和23年 温海高等学校として設立
昭和57年 校舎新築・移転
平成14年 鶴岡中央高温海校となる
平成24年3月 廃校
この学校があったことを埋もれさせないためにも、温海校のホームページは残してほしいところです。
山形県立鶴岡中央高等学校温海校ホームページ
鶴岡中央高温海校、63年の歴史に幕 卒業式で7人の門出祝う(H24.3.2山形新聞記事)
鶴岡中央高(H23.1.26当ブログの記事)
<カーソルoff>【Google Earthの画像<H21.10.16撮影>】
<カーソルon>【国土画像観覧システム(国土交通省)の画像<S52年頃>】

【Googleマップ】
より大きな地図で 山形今昔30年 on Googleマップ【庄内地方】 を表示
追記【Googleストリートビュー】
より大きな地図で 山形今昔30年 on Googleマップ【庄内地方】 を表示
昭和23年 温海高等学校として設立
昭和57年 校舎新築・移転
平成14年 鶴岡中央高温海校となる
平成24年3月 廃校
この学校があったことを埋もれさせないためにも、温海校のホームページは残してほしいところです。



<カーソルoff>【Google Earthの画像<H21.10.16撮影>】
<カーソルon>【国土画像観覧システム(国土交通省)の画像<S52年頃>】

【Googleマップ】
より大きな地図で 山形今昔30年 on Googleマップ【庄内地方】 を表示
追記【Googleストリートビュー】
より大きな地図で 山形今昔30年 on Googleマップ【庄内地方】 を表示
2011年09月10日
旧東沢中
昭和54年4月、山形市立東沢中学校は山形市立第一中学校と統合になり廃校となりました。
※山形一中は、この統合を機会に新設校として発足、この年度に創立とし、以降創立○周年
とカウントしている。
旧東沢中学校敷地には現在、東沢公民館及び特別養護老人ホーム「愛日荘」が建っています。
<マウスoff>【Google Earthの画像<H18.3.22撮影>】
<マウスon>【国土画像観覧システム(国土交通省)の画像<S51年頃>】

【Yahoo!地図】
【東沢公民館】

追記【Googleストリートビュー】
より大きな地図で 山形今昔30年 on Googleマップ【山形市】 を表示
※山形一中は、この統合を機会に新設校として発足、この年度に創立とし、以降創立○周年
とカウントしている。
旧東沢中学校敷地には現在、東沢公民館及び特別養護老人ホーム「愛日荘」が建っています。
<マウスoff>【Google Earthの画像<H18.3.22撮影>】
<マウスon>【国土画像観覧システム(国土交通省)の画像<S51年頃>】

【Yahoo!地図】
【東沢公民館】

追記【Googleストリートビュー】
より大きな地図で 山形今昔30年 on Googleマップ【山形市】 を表示
2011年04月16日
旧大鉢分校
きのう友人と「やきとり小柳(こやぎ)」の駅前店と七日町店のはしごを挙行。
夫婦と3人の息子が2店を切り盛りしています。
おいしいので是非行ってみてね!
さて、このブログでの本題は「小柳」という店名の由来。
ご主人が大江町小柳の出身ということで付けたそうですが、この地区は昭和47年頃、
町の集落移転事業で住民全員が町の中心部へ移り、廃村になっています。
下のYahoo!地図には地名は表示されていますが、隣の大鉢地区とともに、
現在住んでいる人はいません。
実は平成11年頃、個人的な興味から、大江町の貫見から北上して大鉢を経由して
西川町の間沢へ抜けるドライブをしたことがあります。
ただ、当時は下の「山さ行がねが」管理人の道路レポート記載(ルート順は私と逆)のとおり、
県道の工事が未完成の頃で、非常に心細い「探検」でした。
集落跡や大鉢分校跡を探そうとしたのですが、地図も持たず、土地勘の無い中いきあたり
ばったりで行ったため、見つけることができませんでした。
このたび、「小柳」から連想して、あらためて国土交通省の昭和51年頃の画像をチェックした
ところ何軒かの家と学校らしき建物が写っていました。
たぶんこれ ↓ が大鉢分校だと思います。
【国土画像観覧システム(国土交通省)の画像<S51年頃>】

【Yahoo!地図】
山形県主要地方道54号線 貫見間沢線(「山さ行がねが」サイトの道路レポート)
H15.6.5 その1 その2
道路規制情報(山形県の国道県道)
↑ 貫見間沢線は5月中旬まで冬季閉鎖で全面通行止。
山形県小学校の廃校一覧(wikipedia)
夫婦と3人の息子が2店を切り盛りしています。
おいしいので是非行ってみてね!
さて、このブログでの本題は「小柳」という店名の由来。
ご主人が大江町小柳の出身ということで付けたそうですが、この地区は昭和47年頃、
町の集落移転事業で住民全員が町の中心部へ移り、廃村になっています。
下のYahoo!地図には地名は表示されていますが、隣の大鉢地区とともに、
現在住んでいる人はいません。
実は平成11年頃、個人的な興味から、大江町の貫見から北上して大鉢を経由して
西川町の間沢へ抜けるドライブをしたことがあります。
ただ、当時は下の「山さ行がねが」管理人の道路レポート記載(ルート順は私と逆)のとおり、
県道の工事が未完成の頃で、非常に心細い「探検」でした。
集落跡や大鉢分校跡を探そうとしたのですが、地図も持たず、土地勘の無い中いきあたり
ばったりで行ったため、見つけることができませんでした。
このたび、「小柳」から連想して、あらためて国土交通省の昭和51年頃の画像をチェックした
ところ何軒かの家と学校らしき建物が写っていました。
たぶんこれ ↓ が大鉢分校だと思います。
【国土画像観覧システム(国土交通省)の画像<S51年頃>】

【Yahoo!地図】

H15.6.5 その1 その2

↑ 貫見間沢線は5月中旬まで冬季閉鎖で全面通行止。
